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↓このニュース
http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/saitama/090820/stm0908201520008-n1.htm
やりきれないと言うか、なんと言うか…。

ネタバレになりますが、【2007.4.21】に書いた詩は同じようなニュースを見て
ご主人の立場で私なら…と言う視点で書いています。
寝たきりの奥さんを介護していた70代のご主人が奥さんに【殺して欲しい】と懇願され
奥さんを殺し、自ら通報したと言うものでした。

以下個人的な考えを述べているので反転にしておきます。賛否両論でしょうから。
 最愛の人に「殺して欲しい」と懇願されたら…?
人を殺める事実に変わりは無いけれど、相手を思う気持ちに嘘は無いのではないかと
私は思うのです。法に触れ、罪を背負ってでも最愛の人の願いを聞き入れたい。
楽にしてあげたい。楽になりたい。尤も人間らしい思考ではないかと思えるのです。
懇願する側も葛藤は大いにあるでしょう。自分を殺めさせれば遺す人を殺人者に
してしまう。自分は死んでしまうのだから無責任といえば無責任かもしれない。
ただ現状を打破し、相手を解放するにはそれしかない。そう考えるのではないのか?
そうして殺人と言うかたちを取ってでも、相手を自分から解放することを最優先とし、
そこに希望のようなものすら見えてしまうのではないか。
互いが【楽にしてあげたい】と思いあった結果、殺人と言う概念が崩れ、
二人だけの理の中でこうした結末になってしまうのではないだろうか。

自ら死を選ぶと言うのは、心のどこかが強くなれないでいる人ではないかと
過去の自分を含め思うのです。
強くなろうとしてもなれるものではないから、それがキツイ。
いくら考えても何も結論が出ないから苦しい。
答えを、意味を、探し始めてしまったらきっと、皆同じような穴に嵌ってしまうのでは
ないかと、そう思うのです。

様々な考え方、意見があって当然でしょう。
読まれた方は一意見として流してください。

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